以前にも書いたが、私はここ東川町の生活環境がいたく気に入っている。山も近いし街も近いし、何よりも我が家は自然に囲まれて居心地が良い。そして子供が生まれてから更に、この町の暮らしやすさを実感している。ど田舎でないほどほどの田舎ののんびりした空気。町の子育て支援センターはソフト面でもハード面でも充実しているし、他にも充実した遊びの施設がある。遊べる野山も沢山あるしね。東川は土地の安さから、旭川からの移住者が増え続けているようだ。私が移住して以来、新興住宅地はどんどん広がって新しい家が林立する区域が多く見られるようになった。正直言って、私はこの「住宅地」に住みたくないけど、子育て世代の仲間が増えることは喜ばしい限りだ。
東京出身の私の感覚からいうと、20代30代でマイホームを建てるなんぞ、ありえない話なのだが、東川の皆さんはスゴイ。東京人から見たらもう「豪邸」だ。いろんな豪邸に子連れでお邪魔してきたが、そのうちの一件で先週「お泊り会」が開かれた。そもそも東京で個人の家にお泊りするなんて不可能なのだ。(まあ私が生まれ育ったのは下町方面なので山の手の住宅とはちょぃと違いますが。)家が狭いだけでなく、布団やら食料やらを運ぶなんてことは、駐車場も余計にない家では無理だもんね。車だって皆持っているわけではないし。 昨年に引き続き、今回は6組の親子が参加。もちろん「父」なるものはひとりもおりません。私なんかさっさと一番風呂に入れてもらい、もうビールを飲む準備万端。今回のメニューは「鍋」。各自好きな材料を持ってくる、ということになっていたのだが、さすがに主婦の鑑のあつまり。ちゃんと手作りの具を持参するところが東川流。 久々に奮発して買ったモルツを片手に、たらふく食べた私。夜中の3時半まで普段のストレスを発散すぺく語り続けた母達でした。 さて、今日は深山のいない我が家でケーキ作りの予定。たまたまなのか、そういう人が東川には多いのか、私の仲間は皆、食に感心のある人ばかりで、日常的にレシピを交換しあったり、一緒にご飯を作ったり(今年は皆でみそも作ったし。)、集まる場には必ずおいしい手作りおやつが出てきたり、という付き合いだ。 今日は、東川町にあるケーキ屋さんの講習を受けた友人の手ほどきを受ける予定だ。みんな、いつもおいしいお菓子やパンを食べさせてくれてありがとう。感謝。 |
突然ですが、今日は娘の話。
3歳9ヶ月になる娘は、新しい言葉をどんどん覚え、彼女なりにその限られたボキャブラリーをうまく使いこなしている。深山と私の会話にいつも耳を傾けているらしく(遊んでいるのに。)、知らない言葉が出てくると「○○ってなあに?」と口を挟んでくる。 1ヵ月ほど前、三人でトランプの神経衰弱をやって娘が一人勝ちし、「どうしてそんなに強いの~?」と感心していると、「だって私の頭にはバイキンがいないもん!」だって。 私と深山は一瞬絶句し、その後うーん。と唸ってしまった。 確かに小さな子供の心は限りなく純粋で、汚れていないので、私達は日々彼女の言葉にはっとさせられたり、癒されたりしているのだけれど、これほど私達の心に強烈な印象を残した言葉はなかった。大人の頭は本当にバイキンだらけだよ。本当にそうだよ。バイキンを排除して、あなたのようにピュアな心を持ちたい。私達(特に私。)は本気でそう思ってしまったのだ。 それでも常に自然と向き合っている深山の頭のバイキン度は、平均より低いかもしれない。でも私は?うーん。あれもしたいこれもしたいの欲だらけ。なるべくストレスを減らしたくて人に要求してばかり。バイキンは常に繁殖し続けているような気がする…。 やっぱり、自然の中に繰り出そう。うん。そうしよう。そしてバイキンマンをやっつけるのだ。 |
![]() 大雪の蔵に「春」バージョンの写真を展示しました。 「大雪の蔵」との付き合いはもう8年目になる。東京本社の「合同酒精」(現オエノンホールディングス)の広報担当者が、東京のライブラリー(写真をストックする業者)で深山の大雪山の写真を何枚か借りてくれたのがきっかけだった。 以来、入り口すぐ横に、深山の常設展示スペースをいただき、季節こどに写真を発表し続けている。(階段や喫茶スペースにも、現在作品を飾っている。) 大雪の蔵にはレストランがあり、とてもリーズナブルな値段で懐石ランチをいただくことができ、とても美味だしお値打ちだ。(夜は本格的な懐石料理を出している。)また売店には色々な種類の酒類を販売しており、おすすめ品を試飲することもできるし、隣接した工場をガラス越しに見学することもできる。見学のみもOKなので、ぜひ気軽に立ち寄っていただきたい。(って私のお店じゃないけどね。) 月曜日は休業日なので気をつけてくださいね。 大雪の蔵は旭川市南6条通りにあるが、以前隣にマイホームセンターやゴルフの練習場があり、現在は更地になっている。その空き地に今年の夏ウェスタンやホーマックがオープンするそうだ。 それから、大雪の蔵も建物を拡張して、秋に新規オープンする予定だ。 |
実は私は深山と付き合う前までは、常にカメラを持ち歩いて写真を撮っていた。といってもほとんど旅の記録的な写真ばかりで、本格的に風景と向き合っていたわけではない。
旅で知り合った友人に連れられて、はじめて「北写人」を訪れてその写真を見たとき、「へぇ~。これが写真というものなのだ。」と妙に感心したことを覚えている。私が今まで見たことのない、絵のような作品ばかり。それとただの枯れ草だけの風景が、やけに威圧的に私を見下ろしているような感覚。どの作品にも漂う物寂しげな雰囲気。もう十年以上前のことなのに、私はそれらの感覚をとても鮮明に覚えているのだ。 おそらくそれは、まだ昼過ぎなのに、薄暗い石蔵の中でひとりワインを飲んでいた深山治という人が、強烈な印象となって私の中に残ったせいでもあったと思う。 「初めて写真というものを見た」というコメントを残したお客さんもいらしたことがある。写真てとても身近なもののようで、誰もが知っている写真とは別の写真の世界があるのだ。「写真ギャラリー」という看板を掲げていても、興味を示さずに通り過ぎてしまう人がほとんどなのだけど(あれ?看板が見えないせいだけじゃないよね?)、もう少し写真を芸術として一般の人に認めてもらえたらいいのにといつも残念に思う。「だって何枚でもプリントできるんでしょ?」とか、写真の価格を見て「この人って有名な人なの?」なんていわれると心底がっかりしてしまう。絵画の価値も写真の価値も比較しようのないものだと思う。良いものは良いのだし、悪いものは悪いのだ。(もちろん、深山のすべての作品が優れているとは言わない。) とにかく皆さん一度「北写人」にいらして「写真」をまず見て下さい。きっと知らない世界を垣間見ることができるはず。皆さんの心に新鮮な風を吹き込めたら、そして何かを感じ取っていただけたら、私はとても幸せだ。 でも実は、「来てね」という前に、受け入れ態勢をきちんと作っておかねばならない。写真は常に展示してあるのだが、いつも「閉まっている」ので有名な写真館なのだ。それに「何をやっているのかよく分からない」し、「気にはなってるけどなんとなく入りにくい」のだそうだ。 冷やかしの観光客にどっと押し寄せられても困るが、やっぱり多くの人に見ていただいて、作品も買っていただきたいというのが本音。(もちろん見るだけでもOKよ。) 今年から私も少しずつギャラリーの番人の仕事に戻りたいと思っている。これも娘の成長度次第?(去年は、人が来ると「お話しないで~!」と暴れていた娘。今年は「お仕事手伝う!」と言ってくれているが、どうなることやら…。) ちなみにギャラリーは4月中旬以降、遅くともゴールデンウィークには開館予定です。開いているかどうかは運次第。 |
気が付けば、今年で北海道生活丸10年を向かえる。
実はちょうど10年前の今頃、私は新たな人生を切り開くぺく、ニュージーランドでの暮らしを始めたところだった。日本語教師ボランティアとして現地の高校に通っていた私は、ここで1年色々な経験を積んで、また違う国で本格的に教師として働きたいと思っていたのだ。 とろこがどっこい、前年に旅の途中で親しくなった深山が遊びに来ることになり、休みをもらって2人でニュージーランド国内を周るうちに気が変わって、私はあっけなく深山と一緒に帰国してしまったのだ。本当に人生って面白いな~。 世界の国々を旅してきた私にとって、日本の田舎での暮らしは憧れであった。いつか私の旅が一段落したときに、私は必ず日本の田舎で暮らしたいとという願望を持っていた。まあ、それが予想外に早まってしまっただけのことだ。 そうして、ここ大雪山の麓での田舎暮らしが始まった。偶然の重なりの結果暮らすことになった東川町だが、私はこの地がいたく気に入っている。我が家の前は道路を挟んで山になっており、うちの裏の一角だけ林になっている。そのまた裏は田園で忠別川へと続いている。大雪山は見えないが、かろうじて十勝岳連峰の一部が見晴らせる。 木々に囲まれているので、色々な生き物が遊びに来る。様々な鳥をはじめ、リスやきつね、希少動物のエゾクロテン、春になると向かいの林にシカも下りてくるし、去年の秋にはすぐ近くでなんとヒグマまで出没してしまった。かといって、すごいド田舎というわけでもなく、旭川までは車で20分でいけるし、空港までも15分なのだ。山にもすぐ行けるし、北海道内どこへでも1日でたどり着けるし、東川って本当に良いところなのだ。子育て環境も良いしね。 楽しいだけの生活というわけではないけど、まあ人生ってそうゆうものだし、私はこの地に暮らせて本当に幸せだだなぁと日々感じている。ここでなら、どんなにビンボーでも、豊かに暮らせちゃうから不思議。 ちなみにタイトルの「渡道」という言葉だが、これは深山が好んで使っていた言葉だ。あるとき深山のプロフィールに「渡道○○年」と書いてどこかに提出したら、そんな言葉は存在しないから使えない」と言われた事があった。確かにこれって造語だよね。でも響きがなんか良いと思いません? |
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