髪を切った。
嬉しい。 切ったことが嬉しいのではなく、切りに行けたことが嬉しいのだ。 旅から戻った深山と娘は昨日デートに出かけた。 娘は1月の終わりくらいからようやく深山と2人で出かけられるようになり その後私と離れても大丈夫と自信がついたのか 友人宅にも預けることも、ついにできるようになったのだ。 娘は来月で5歳。 「超」の付くほどのママっ子で、どんなときでも私からはなれることがなかった。 ちょっとでも離れると「ママ~!」と泣かれることにどんなにかストレスを感じたことか。 可愛い可愛い娘だけれど 時にはうんざりすることも多々あった。 せめて深山が私のために娘を連れ出す努力をしてくれたら…とストレスの矛先を深山に向けてしまったり。 「今だけ今だけ。いつかは離れられる」と延々と自分に言い聞かせようやくそのときを迎えた。 昨日行った美容院で担当の30くらいの男の子?が 「旅に出たいんですよね」と言うので 行け行け~旅はいいぞ。と自分の旅の話をした。 娘と離れて心が開放的になっていた私はタイムトリップをした。 昨日のニュースで、地下鉄サリン事件から14年、と報道されていた。 あの日私は中国に行くためのビザを中国大使館に取りに行こうとしていた。 JRから地下鉄に乗り換えようとしたら、乗り換え口にロープが張られ警備員のような人が3人も立っていたのだ。 ネパールからインド、そしてパキスタンのカラコルムハイウェイを旅して 標高5,000メートル近い峠にある国境を越え中国に入りシルクロードを横断した。 あれから14年か…。 普段忘れ去られている旅の思い出がこうして何かのきっかけでよみがえる。 きっと私の旅の経験は、私の生きる力の元になっているのだろうとふと思う。 いろんな悩みや迷いのある今の生活。 子育てという束縛された時間の中で羽ばたきたくても羽ばたけず 自分らしさを失い自信までも失い 夢があっても希望を持てないような そんな日々をすごしていたのではないかとも感じる。 でも私はきっと大丈夫。 ヒマラヤのそびえ立つ山々の姿を思い浮かべながらそう自分に言い聞かせる。 たぶんもう世界を旅して歩くことは無いだろうと思うけど 身近なところで新しい世界を旅してみたいな。 いろんなことに思いをめぐらせた1日。 |
昨日から千葉県勝浦の家に来ている。
以前にも書いたことがあるが、この家はもともと父が引退後に田舎暮らしをするために建てた家で 結局母一人で2年あまり暮したあと別荘になってしまった。 別荘にしておくにはかなりもったいない造りで 昨日来たら広い庭も草ぼーぼーだし 家の中もかび臭い。 自分たちの家を小さいながらも建てた経験から 家の建て方やメンテナンスがとても大切だということは身にしみてわかる。 ここは山間部で夏以外はとても寒いのに ガラスはぺらぺらの1枚ガラスだし 断熱材もいい加減に薄っぺらのものが横壁に入っているだけだし(屋根裏に上がるとちょろちょろと1階部分に入っている断熱材が見えて、広い屋根裏にはなーんの断熱材も無い。) おそらく床も断熱されていないと思われる。 だから夏は屋根の熱で恐ろしく暑くなるし 冬は異常に寒くなる。 お金をいっぱい払ったのに 素人相手だからってこんな建て方して良いのだろうか。 なんだか私はいつも腹が立って 建ててくれた工務店に殴りこみに行きたい気持ちなのだが もともと不動産屋で、そこの社長夫婦はとても母のためによくしてくれていたので ぐっと我慢だ。 まあそんなことよりも、今後どうやってこの家を保持していくかが問題。 年に2回くらいしか来られない私は 滞在中ひたすら掃除に専念する。 前回は大量にものを捨てた。 今回も残っている母の持ち物を整理したり処分したりしたいと思っている。 はぁ~。もったいないな~、この家。 断熱の問題はあるけど、とっても素敵な家なのだ。 忙しい兄が時々家族を連れて釣りに来たりするだけで このままあまり使えずにどんどんガタがくるのを待つよりも いっそのこと状態の良いうちに高く売って 勝浦でマンションでも買った方が良いんじゃないかなんて思ってしまう。 でも父と母がいっぱい夢をつめて建てた家。 なかなかそこまで決断はできないのだろうな。 なんて考えていたらとてもさみしくなった。 なので今日の話。 1日寒いながらも快晴で気持の良い天気だった。 かび臭いものたちをどっさり洗濯し 干せるあらゆるモノをテラスに並べた。 そして子供たちを連れて海へ。 きらきらと輝く碧い海と美しい砂浜。 そこは守谷海岸。 私が小学生のころから遊んでいた馴染みの浜だ。 沖合に鳥居の建つ岩があり 引潮になったら頑張ると浮き輪でもたどりつけ 岩場によじ登って遊んだものだった。 今でも変わらず美しい海岸で 娘たちは3時間延々と遊び続けた。 |